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2008年2月20日 (水)

竹島の日

県土・竹島を守る会が街頭アピール 
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=500417006

によると、

 島根県が定めた「竹島の日」(22日)を前に、全国の有志でつくる「県土・竹島を守る会」が17日、松江市朝日町のJR松江駅前で街頭活動を行い、竹島の日をアピールするとともに、竹島問題の早期解決を訴えた。

 県内のメンバー11人が参加。「守ろう竹島!わが県土」と書いた横断幕を掲げ、竹島問題を所管する国の組織の設置や、国による「竹島の日」の制定を求めるチラシ500枚を、駅の乗降客らに配布した。

 また、雪の舞う中、諏訪辺泰敬副会長(57)らが交代でマイクを握り、「国の取り組みによって(韓国側が実力支配する)竹島を守ってほしい」と声を張り上げ、県選出国会議員の積極的な関与を求めた。

との事。

 2月22日は、竹島の日です。1905年(明治38年)の1月28日(日露戦争の最中)、明治政府は竹島を島根県所属隠岐島司の所管とする閣議決定を行います。そして、2月22日、島根県知事は島根県告示第40号を告示、竹島は島根県に編入されました。一般に言われる先占理論(早い者勝ち)によって国際法上公式な日本領土となった記念すべき日です。

 しかしながら、韓国は1904年に結んだ日韓協約により外交権が剥奪されていた為、1905年の竹島領有に対する異議申し立てを行う事が出来なかったとし、日本の竹島領有を認めておりません。1952年、李承晩ラインと呼ばれる軍事境界線を宣言し、竹島を韓国領土としました。

 しかも、そのライン内に入る日本の漁船を一方的に武力攻撃し、1965年までの13年間に、328隻を拿捕、44人を殺傷、捕らえられた日本人3929人という、とんでもない悪行を犯しました。そして、日本人解放の条件として、『凶悪犯を多数含む、刑務所に入っている在日韓国朝鮮人472人を釈放し、在留特別許可を与える』事を要求してきました。

国会会議録検索システムによると、

[626/701] 15 - 参 - 水産・法務・外務委員会… - 1号
昭和28年02月23日

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=11&SAVED_RID=4&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=13514&DPAGE=32&DTOTAL=701&DPOS=626&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=1308

○証人(加藤喜八郎君) 日本遠洋底曳網漁業協会常務の加藤でございます。

(中略) 

 拿捕事件の経過を申上げます。韓国拿捕は昭和二十二年から始まりましたのですが、二十六年までとそれから二十七年以後は著しく内容は違つておりますから、二十二年から二十六年末までのものを申上げますと、総数九十七隻の日本漁船がとられております。この中の八割以上が沿岸底曳網漁業関係の以西底曳とトロールであります。これは全部拿捕されましたのでこれらの船員が向うに行つては非常な屈辱と待遇を受けて、殆んど言語に絶するような待遇を受けて来ております。当時はもう打つ、蹴る、殴るのは殆んど帰つて来る船員の大部分がそのような目に会つております。中にはもう帰つて来るときにはふらふらになつて栄養失調になつて帰つて来る者もあります。拿捕のときの状況はこれはもういろいろでありますが、無論大部分のものが発砲して参ります。そうして死者三名と殴打されて負傷したものなど負傷者が二名出ております。でつかまえたのは全部これは海軍関係の船だと、こういうのでありますが、誠に名ばかりの軍関係のものでありまして、実際はここにありまする中には殆んど、昭和二十五年の三月の四日にとらわれましたところの大山丸という船のごときは四十トンばかりの機帆船であつた。それで炭を一ぱい積んでおつた。何とも普通の船だと思つたところがぱんぱんとやつて来まして、そうしていきなり殴打をされまして、この船員が一人大きな怪我をしておる。これらの九十七隻とらわれました船は、大部分向うの船は国旗を挙げておりません。船名も何もありません。殆んど海賊船だとこう思つておつた。ところが連れて行かれてみるとそうじやなくて軍関係のものであつたような状態であります。でこの九十七隻のうち幸い四隻は逃げて参りました。その他のものは数カ月、或いは長いものは一年以上も船をとられましてGHQの斡旋でやかましく言つて、数回に亘つて帰つて参つたような次第であります。で七隻ぐらいは一年以上もおりましてそのときは船員を先に帰しましてそれから船が今度こちらから、いよいよ帰すというときには一年後でありますが、迎えに行きましてもらつて来たような次第であります。で帰すときこれらのものは勿論でありますが、数日或いは数十日、数カ月抑留されたようなやつは大部分船員も一緒に乗つて帰つて来ておりますが、帰すときには全く丸裸であります。漁具、漁獲物は直ちにとつてしまう。漁具、船具などその他船舶の備品、計器類とか或いは無電の機械をとり上げるとか、無電の備品、機関部の備品というものは全部、ひどいのは部屋のカーテンまで外して、或いはベットまではぎとられて帰つて来ておるような船がたくさんあります。これが帰つて来る状況の実相であります。そうして船員の大部分のものは私物を没収されております。ところがこの九十七隻のうちで八隻はまだ現在未帰還になつておる次第であります。以上が二十六年までの拿捕の概況であります。

(以下略。リンク先読んで下さい。)

 この証言は、李承晩ライン宣言前の話です。無防備都市宣言を仰る方々に知って欲しいと思います。軍隊を持たない日本がどうする事も出来ず、泣き寝入りさせられた歴史です。韓国に対しては、1954年以降、国際司法裁判所で裁判をする事を提案しています。しかしながら、韓国は拒否し、裁判は実現しておりません。

 竹島の日は、そんな歴史を抱えた日です。テレビや新聞では、韓国が実効支配しているとか、日韓両国が領有権を主張しているとか、軽々しく語られます。大変悲しい事です。武力以外でこの問題を解決する方法を、私は知りません。

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